ブログ版水野義則Times(アーカイブ)

愛知県尾張旭市の水野義則です。市議会議員を4期13年、市長を2期6年9ヶ月務めさせていただきました。地方自治、政治に携わらせていただいておよそ20年、現職でなくなった今だからこそ発信できることがあると思います。「私が言う」ことで、多くの人が何かを考え、何かを感じていただければと思い、引き続き発信していきたいと思います。

元市長

実務を知る

先日、瀬戸旭医師会の事務局に行って、あるシステムの仕様に関わる内容について教えていただいてきました。お忙しい中、ご対応いただきありがとうございました。

それにしても、在職中は知っているつもりで知らなかったことがたくさんあります。批判の声が聞こえてきていたので実際のところを聞いてきたのですが、まあまあよく考え練られていると思いました。そういうことを知らずに、ただただ批判するものいかがなものかと、逆に思ったりもしました。あとは使う方の問題と、それを正しくPRする部分の問題かと思います。私も実務のそこまでの詳細は確かに知りませんでしたが、行政もほとんど知らないんじゃないかなぁ、と思います。まあ、知らなくても良いのかもしれませんが、実務を知ることで見えてくることもあると思った瞬間でした。

新元号「令和」スタートと全国植樹祭

GW中の5月1日に、新元号である「令和」がスタートしました。昭和から平成への御代代わりは自粛ムードでしたが、平成から令和への御代代わりは慶祝ムードという感じで、国民全体が明るい感じになっていて良かったと思います。30年前は確か、塾からの帰りに駅に張り出された号外を見て知った記憶があります。

さて、二百年以上ぶりの生前退位(退位だ譲位だという議論があるようですが、私はこの表現を使用しています)はあらかじめ決まっていましたので、在職中は今年6月2日に

尾張旭市にある

愛知県森林公園で開催される「第70回全国植樹祭」を、「新しい元号になり、新しい天皇陛下の最初の三大行幸啓」と宣伝してきましたが、聞いている方はあまりピンときていなかったように感じました。即位後に地方公務を挟まれるかもしれないので「最初の地方公務」とは言いませんでしたが、どうやらそうなるようですね。

6月に即位後初地方へ=「四大行幸啓」、多忙な1年に-皇位継承(Yahoo!ニュースより)

愛知県と言わず、尾張旭市と言ってくれ~、という感じですが、地方のニュースではそういう表示もされていることもあり、当日入場できないなら今のうちに、とこのGW中に森林公園を訪れられた方も多かったようです。既に会場はほぼできあがっていますので、ああ、ここに新天皇皇后両陛下が来られるのか、など思いをはせられるのもよいのではないかと思います。警備の関係上、あまり言えないと思いますが、天皇皇后両陛下が使用された場所、寄られた場所など、尾張旭市にとってはとても大きなことになります。人間の興味は3ヶ月~半年もすると薄らいでしまいますので、この半年にいかにPRをして、今後の戦略に繋げていくかが大切になってきます。

そんな全国植樹祭ですが、心配なこともあります。一つは、テーマソングを歌っている岡村孝子さんが、病気のため休養に入られたことです。本人も言っておられるように、全国植樹祭に出席予定だったということなので、担当者はシナリオ変更に追われていることと思いますが、地元の偉大なアーティストが欠席されるのはとても残念です。

もう一つ、これは大したことではないのかもしれませんが、

UQ WiMAXが全く繋がらない!

ということです。サービス提供エリアを見ると当然色が塗られていますが、2.4GHzでも全然繋がらないですね。公園内もダメですが、北側道路もダメです。私の端末だけかもしれませんが、3台試して3台ともダメでした。当日は拘束時間がウン時間と長くなると思われますので、Wi-Fi繋いでという方も多いと思いますが、あんなにアンテナ立たないと多分使えないですね。4G端末ならそちらで通信できますけどね…。

立候補と人生

統一地方選挙の後半戦が終わり、10連休というGWも終わり、いよいよ本格始動する地方議会が増えてくると思います。まずは会派の割り振り、そして正副議長から正副委員長までの駆け引きでしょうか。議会選出の監査委員を議会三役とみなして、議会人事の中で議論するのは本来は筋違いですし、いい加減止めた方が良いと思いますが。

そんな統一地方選挙の後半戦も、やたらと「無投票当選批判」がなされていました。みっともない話ですし、そうやって市民の負の感情を煽ることしか考えていないのかと辟易します。無投票は候補者からすると結果でしかありません。どんな候補者でも、人生をかけて立候補するという決断をしています。無投票だと真剣に議論しなくなる、とかいう話は全く理解ができません。一度、人生をかけて記者を辞して立候補してみたらよろしいと思います。会社も、ちゃんと戻れる保証をしてあげれば良いのでは?そういうことをせずに、無投票当選者を叩くのは全くナンセンスです。

一方で、候補者不足に悩む議会も全国には少なくありません。そんな中、長野県辰野町議会議員選挙で無投票当選した議員が、1日で辞職したことが話題になっています。

定数割れ無投票当選者が辞退申し出…選管苦慮(読売新聞オンラインより)

無投票当選新人 任期初日に辞職 辰野町議会 欠員2に(信毎webより)

あまり詳しく書かれていない、というか辞職した人を非難するような内容になっていますが、実際は「定員割れになりそうだからと立候補するのは卑怯だ、ズルい」「空きがあるからと立候補するのは盗人猛々しい」というような非難、批判が殺到して、辞めざるをえなかったようです。全くバカげた話です。情勢はどうであれ、人生をかけて立候補届を提出するという決断をした人を、しなかった人が批判するのはおかしいです。なった後がとても大変な職業ですから。他人が得することを自分の損と考える、他人の幸せを許せない最近の日本人の気質がにじみ出ている気がしますが、辞職せずに「仕事で返す、見ていて」と言って欲しかったと残念でなりません。議員って、当選後の仕事でしかお返しできない職業ですから。

無投票当選者を叩くよう世論を煽ってきた影響が、こんなところにも出ていると思います。定数14のところを欠員がもはや2、あと1人辞職したり、亡くなったりしたら補欠選挙をやらなければなりません。立候補した人を引きずり下ろしておいて、全く無駄な話です。

候補者はどこへ?

選挙戦もいよいよ終わりが近づいてきました。陣営によって温度差はあるのでしょうけど、基本的には最後のお願いに回っている、というところが多いと思います。

そうした中、選挙カーから「助手席に本人自ら乗り込んで…」というフレーズが聞こえてくることがあります。「選挙カーに本人が乗ってるのは当たり前だろ?」と思う人も多いと思いますが、そういう候補者ばかりではありません。むしろ、最初と最後以外はほとんど乗らない、という候補者もいるくらいです。大抵の場合、本人は助手席に乗りますから、そこにスタッフジャンパーを着ていたり、たすきをしてなかったりする人が乗っている場合は、候補者は乗っていないでしょう。あえて書きませんが、我々のグループではこの点で作戦もありました。

では、候補者はどこに行っているのか?というと、それはいろいろだと思います。選挙は体力勝負ですから休んでいる場合もありますし、事務所でお客様の応対をしていることもあります。別働隊(拡声器は使用できない)として駅頭に立っている場合もありますし、個人演説会に行っている場合もあります。しかし、一番多いのは「もぐっている」のではないかと思われます。

私はよく「挨拶に来なかったから入れなかった」と言われましたが、選挙運動としては

① 戸別訪問の禁止 
 選挙に際し投票を依頼したり、または投票を得させないように依頼する目的で、個別に選挙人の家を訪問することを指します。 
 また、それに類似した行為も禁止されています。

ですので、「自宅にお願いに来た」というのはアウトです。よく、敷地に入ったらアウト、などと言われていますが、後援会の入会依頼のような政治活動もできませんので、もし誰かが来たのであれば別の理由があったはずです。そういうことを総称して「もぐる」というようですが、「直接お願いに来なかったから」というのは公職選挙法上は好ましい表現や判断材料ではない、ということになります。

最終日はあちこちで練り歩きがされていることと思います。「桃太郎作戦」などと言われますが、選挙運動としては

④ 気勢を張る行為の禁止
 選挙運動のため、人目を引こうと多数の自動車を連ねたり、隊列を組んで往来すること、サイレンを鳴らす行為等は禁止されています。

ですので、桃太郎作戦もそれなりに配慮してやられている…はずです。

公職選挙法は、選挙に関わっていない人にはとても分かりにくいものです。むしろ、一般の方が「当たり前」と思っていることが禁止されています。例えば、当選後にお礼をすることは禁止されています。しかし、選挙期間中お騒がせして、お願いして、その結果当選したのだからお礼くらい当然、と誰もが思いますが、禁止されているのです。「あの人はちゃんとお礼してえらいねぇ。それに引きかえ…」というのは本来は間違いです。私は選挙後に駅に立ちましたが、お礼は述べていません。挨拶と1週間お騒がせしたお詫びをしていました。「もっとはっきりありがとうって言えよ!」と言われた方もありますが、できないのが公職選挙法です。

公職選挙法はどちらかというと「べからず集」です。やってはいけないことが書いてあります。それは有権者の投票行動の裏返しでもあります。戸別訪問が禁止されているのは、「選挙中にお願いに来てくれた」ということが投票に結びつくと思われいるからです。ポスターやのぼりで宣伝するのが禁止されているのは、物量作戦でそういうものをたくさんできる候補者が有利になる、つまり有権者はたくさん目にした候補者に投票するという行動に結びつくと考えられているからです。

公職選挙法の既定が「悔しい」と思えるほど、真剣に政策で投票する候補者を決めてほしいと思います。挨拶に来た、お願いに来た、ではいけません。


候補者によって、選挙の取り組みに思い入れもありますし、戦略もあると思います。


IMG_0534

これは告示日当日の写真、ではなく、選挙活動最終日の土曜日午後の写真です。ポスター貼らない、というのも、選挙カーを使わない、というのも一つの作戦ではあります。それを伝えて、それを評価してもらえれば、ですが。確かに、目立つといえば目立ちますね。わざとでないなら、ここを選挙カーで通らなかった、ということでしょう。私は街宣車にポスターの予備(自前で印刷)を積んでいて、剥がれそうなところは貼り替えながら選挙活動をしていました。敵が多かったのか、破られたり、目のところを傘でつっつかれたり、ということもありました。しっかりお金をかけて作製したので、雨で破れたりシワができたりすることはなかったですが。ポスターはもっと安くできる!と言っている人もいますが、そこも戦略ですから。

統一地方選挙後半戦最後の週末

いよいよ統一地方選挙後半戦最後の週末を迎え、日曜日は投票日となります。昨日も市外のあるところですれ違った街宣車が相変わらず「消費税10%増税を阻止し…」などと言っているのを聞いて、この町の争点は本当は何なのだろう?とか思ってしまいました。街頭演説や選挙公報、インターネットでの発信などを参考にしながら、どの候補者がその町の課題について、どのような考えと施策案を持っているのか、ということをちゃんと見極めて投票することが大切です。

たまに「ジャッジ」という言葉を見て違和感を覚えます。行政施策に対するジャッジは、選挙などを通して市民がするものです。もちろん、議員も市民の一人ですのでジャッジすることも必要ですが、議員に求められているのはその先どのような施策を実施するのか、ということのはずです。単に「好き/嫌い」「良い/ダメ」をジャッジするだけなら、誰でもできますし、ある意味無責任と言えます。その昔の議員であれば、質問も発言もしないという時代もあったと思いますが、今は議員提案や議案の修正、否決などが議員や議会に求められている時代ですので、ただジャッジするだけの議員は不要です。

もう一つ大切なことは、その施策の実現可能性と効果です。実現可能性もいろいろな側面がありますが、まずはその自治体で決められることなのかどうか、そして財源はあるのかどうか、でしょう。よくリップサービス的に「無料にします」系の公約は多く見かけますが、それには必ず財源が必要です。財源が潤沢にあれば、保育料だって給食だって、保険料だって税金だって、みんなゼロにしてしまえば住民の満足度は一番上がるでしょう。しかし、そういう財政状況に無いから、本来は取捨選択、誰もが嫌がる「捨」も必要なのです。しかし、そんなことを口にすることは選挙では不利なので、ほとんどの候補者はそういった「不都合な真実」には触れません。やります、やります、のオンパレードになります。そういう中、本当にしっかり財源を確保でき、しかも行政上効果を生み出せるのか、ということについて選ぶ方もしっかり見極める必要があります。「身を切る改革」なんて耳聞こえの良い言葉ですが、例えば議員定数を1人削減したところで、道路補修工事すらままなりません。もちろん、無いよりあった方が良いですが、規模感としてはそのくらいです。身を切ればあれもこれもできるほどの財源が生み出せる、という単純なものではないのです。

いかに実現可能な施策を、具体的に提案しているか、その点はまさに議員、候補者に求められている部分ですので、それをこの選挙戦の中で有権者は判断していくことになります。

あ、ただ色が付いた布きれの幟以外、何か文字がかかれたものは違法らしいです。「本人」やスローガンが書かれたものもアウトだと、総務省に確認された方がネット上で拡散しています。いかに法を遵守した選挙をしているか、というのも判断材料の一つになると思います。




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