ブログ版水野義則Times(アーカイブ)

愛知県尾張旭市の水野義則です。市議会議員を4期13年、市長を2期6年9ヶ月務めさせていただきました。地方自治、政治に携わらせていただいておよそ20年、現職でなくなった今だからこそ発信できることがあると思います。「私が言う」ことで、多くの人が何かを考え、何かを感じていただければと思い、引き続き発信していきたいと思います。

議員

最後の質問通告

今日は3月議会での質問通告の締め切りの日でした。今回は最後の日に少し締めくくりの卒業質問ができるよう、最後を狙っていたのですが、みんな自粛(?)ムードで、何と通告者は8名、それぞれの質問項目も少ないため、一般質問の本会議は2日半取ってあったのですが、1日で終わりそうな状況となりました。緊急事態とはいえ、こんなこともあるんですね。最後の最後に、初めての出来事となりました。

私は、今回の結果がどういうものであろうと、3年後を含めて市議会議員に返り咲く可能性は無いと言っています。他の方のことはその方の判断で良いと思いますが、私は別のものを目指して、それがダメなら元に戻ろう、というのは政治家の取る道としては違うのではないか、という思いがあるからです。そうでないと、支援していただける有志議員団も真剣になれないですから。

ということで、13年間、おそらく44回目となる質問通告が終わりました。3月1日(木)の夕方頃になろうかと思いますが、議員生活の締めくくりの質問として、放射線のことを取り上げます。


卒業試験、頑張ります。

議員辞職に対する葛藤

3月25日に執行される尾張旭市長選挙への出馬を表明させていただきましたが、その後いろいろな方に聞かれているのは

議員は辞めるの?

という質問です。そこが一番興味があるところだというのは分かる気がしますが、実は結構複雑です。今考えられるパターンは3つあり、

1.議員を辞職して、市長選挙と同時に議員の補欠選挙を実施する
2.議員を辞職するが、補欠選挙は実施しない
3.議員を辞職せず、立候補と同時に自動失職する

となります。1番と2番の違いは、辞職するタイミングによるもので、

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市町村議会においては、欠員が定員の6分の1を超えた時に補欠選挙が行われる。ただし、この条件を満たさない場合でも、都道府県知事(市町村長)の選挙等が行われる場合、選挙の告示前(市町村議の場合は選挙の告示の日前10日)までに欠員があれば、同時に補欠選挙が行われる。
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この規程の内、「告示の日前10日」に当てはまるかどうかで決まります。今回の場合、3月7日までに辞職が確定すれば議員の補欠選挙が実施されます。現実問題として、立候補する側も投票事務を司る側も、10日で準備ができるかと言えば、相当厳しいものがあります。説明会すら開催できないのですから、印刷とか街宣車の準備とか考えたら、無理に近いものがあります。

日本の法律では他の身分のままの立候補が認められていませんので、3月18日時点で議員であったとしても、立候補届の提出と同時に失職となります。諸外国では、議員のまま首長に立候補し、ダメだったらそのまま議員を続けることが可能な制度となっている国もありますが、日本ではそれが認められていません。

それで、何を迷っているのかと言いますと、この補欠選挙をやるべきかどうか、という点であります。経費のことで言いますと、補欠選挙そのものにかなりお金がかかりますし、議員が1人欠員となれば年間約700~1千万円の議会費が浮くこととなります。当然「そうするべき」という声は多いのですが、一方で議会は首長と相対する機関であり、その人数が減るということは力としては弱くなるということでありますので、相対する機関の力を弱めて出馬するべきではない、という意見もあります。出るといっておいて議員のままいるのは潔くないとか、その間報酬貰っているのはおかしいとか、そういう意見もあります。

辞職願のフォーマットも入手しましたが、あくまで「辞職したいから許可して」という内容です。そう、議員の辞職には

議会の許可がいる

のです。まもなく3月定例会の会期が始まりますが、会期中に本会議が予定されているのは5日間のみ。ある本会議を逃すと、次の本会議まで待つか、臨時で本会議をやるか、という話になりますが、このあたりどうするかという明確な決めはありません。議員の間から、臨時に本会議を開催するべきだ、という声が出るかもしれません。

こんな事情もあって、まだ保留にしています。しかし、辞職願を手にしたのは、生まれて始めてのことです。

天命

昨日(2/17)、記者会見を開かせていただき、3月25日に執行される尾張旭市長選挙に立候補する意志を表明させていただきました。私的なことで市役所の会議室を使うのは違うのでは?という声もあり、中央公民館で部屋を借りて(もちろん有料です)開催させていただきました。会場設営が結構大変(机が重い…)でしたが、お手伝いいただいた方々、ありがとうございました。候補者自ら会場設営している首長選挙の記者会見なんてあるのだろうか?(笑)

しかしそのお陰で、市内の施設で数少ない(唯一?)無線LANが使用できる部屋で開催できましたので、パソコンを持ち込んでUstreamのライブ中継をさせていただけました。なぜだが画質が悪く(全体的に白い?)、記者の質問が聞こえないなどの症状も出たようで、視聴いただいた方にはご迷惑をおかけしました。そんなに新しくないパソコンの内蔵カメラだったのが良くなかったかもしれません。iPadとか持ってないので…。まあ、Ustreamで議会中継はなかなか厳しいことを示してしまった、と言えるかもしれません。

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会見では、後で聞くとやはりかなり早口になってしまっていました。「反省」ですが、なかなか癖は治りません。それでも言いたいことは言えたと思います。万人受けするものでもなく、パンチの効いた目玉施策がある訳でもなく、という感じですが、それが水野よしのりらしい、というお声もいただきました。

「出馬の意向」という記事が出た段階で、何人かの方から「頑張れ」ではなく「よくぞ決断してくれた」というお言葉もいただきました。正直なところ、小学生2人の親であることを考えると、躊躇し、逃げ出したくなるような状況ですが、それでも誰かがやらなければ、という思いで決断しました。今の政治に嫌気が差してしまっている方々の期待を受け、そして期待に応えられるようになっていかなければならないと決意を新たにしました。

ある方から、

これは天命である

ということを言われました。図らずも、市長の急逝により前倒しとなった市長選挙、これも天の思し召しである、ということです。準備も何もできていませんが、残り1ヶ月間頑張って走り抜いていきたいと思います。

若手議員の早すぎる死

今日、私が所属する全国若手市議会議員の会に訃報が届きました。私よりも10歳も若い、30歳で2期目のみどり市議の蓮たかみちさんが、がんとの闘病の末、亡くなられたとのことでした。直接お会いしたことはなかったと思いますが、自分より若い議員が亡くなられたことに、ただただ驚くばかりです。若手市議会議員の会の関係では、覚えている限り訃報は3件目です。決して少ない数字ではないと思います。議員という仕事と関係があるのか分かりませんが、健康であることのありがたさを改めて感じました。

ご家族か誰かがアップされた最後のブログの記事を読んで、涙せずにはいられませんでした。ご冥福をお祈りいたします。

蓮たかみちの日々是好日

議長としてやれたこと

昨年度1年間、議長としてやれたことを改めて取りまとめてみました。議長はただの司会者だとか、意志を持ってもらっては困る、というような話もお聞きします。もちろん、市長とは少し立場が違って、あくまで議会は合議体ですので、あまりに独裁的でもいけないのは確かですが、方向性を打ち出すこと、方針を決めること、議会事務局の職員の力を借りながらやれることもたくさんあります。実際にそうしてきたことをあげてみました。


・議会のあり方検討会の立ち上げ
 →選挙公営費用上限額の引き上げ、委員会の構成、正副議長手当、会派の定義、インターネット中継について結論を出しました

・名古屋市立保育短期大学特別委員会の立ち上げ

 →議会としての、土地取得・土地利用に対する意思表示をすることができました

・全員協議会での質問受け付け


・申し合わせ事項等の全面見直し


・本会議場での委員長報告のやり方を変更
 →一括であったものを、委員会単位での報告・質疑とし、見ている方により分かりやすく変えることができました


△議長、委員会室等への飲料持込み

 →これは議長、委員長の許可を得て、ということで、風邪を引いている場合などに限定して実施しました

×ケーブルテレビでの日程放映

 →これは反対意見が多く断念しました

・陳情取り扱いのルール決定


・議会あてのメール質問に回答

 →回答すべきでない、という意見もありましたが、素案を作成し、議会としての回答をしました

△一部事務組合議会議員の選出方法を変更

 →議長としては方針を示したまででしたが、改選後の役員人事では、会派単位のウェーバー方式(?)を採用し、各会派の事情に応じた割り振りがなされ、非常に民主的な決定方法だと評価をいただきました

・非核平和都市宣言に対する決議を実施

 →市議会としては珍しい取り組みでしたが、リードした2人の議員のご努力もあり、全会一致での実現となりました

△二市一町議長協議会の立ち上げ
 →私が瀬戸・長久手の議長に連絡し、会合を2回持ちました。任期中はそこで終わりとなりましたが、現在も継続して会合を持ち、一部事務組合議会の件などを話しあう場ができました

△傍聴者への通告書配布
 →任期中は課題提起まででしたが、この3月議会からインターネットでの公開と傍聴席での配布を開始することとなりました

△議員年金についてのアンケート回答を、全会派から意見徴収

 →これまで議長側で決めていたものを、各会派におろして全議員の意見を徴収しました

・会派室へのパソコン設置

・回線の共有化

 →例規集の廃止のタイミングで、長年の懸案をクリアし、将来的な経費を削減することができました

・募金を実施

 →スーパーの入り口で、東日本大震災に対する募金活動を全議員で実施しました

×視察報告会
 →全員協議会での実施を提案しましたが、反対意見が多く実現しませんでした


・FAXに会派での協議事項を記載

 →次回までの期間が空くと、会派での宿題を忘れがちでしたが、それを減らすことができました


やりきれなかった部分については、おそらく史上最多の9項目に及ぶ議長引継ぎ事項として現正副議長に引き継ぎをしました。幸いなことに、現在の正副議長が真面目に1つずつ取り組んでいただいたお陰で、多くの引き継ぎ事項が今年度で実現に至っています。小さな事かもしれませんが、確実に議会は変わりつつあります。

これ以外に自分で自慢できると思うことは、各種の挨拶文をほとんど自分で作成したことです。現在、手元にある原稿を数えてみますと、紙面やラジオのものも含めて

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ありました。事務局に作成していただいたものそのままという時が、時間の関係で1回あったと思いますので、1年で56回の挨拶があったことになります。副議長にお願いしたものも含めると、もっと多いことになります。事務局に例文を作成してもらったことも多くありますが、時には自分で作るからと断ったこともあります。そして、手話通訳が入るときは事前に原稿を提出することを求められますので、原文をそのまま原稿を持って読みましたが、それ以外の時は文章を暗記して、自分の言葉で話すようにしていました。

議長職は、やる気になればかなりの激務だと思います。打ち合わせ回数もはんぱなく多いです。それだけに、ただの司会者ではなく、方針を持って挑むべき役職であると思います。

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