2006年の滋賀県知事選挙では、嘉田知事が東海道新幹線の新駅建設凍結に絡めて「もったいない」をキャッチフレーズに当選し、一世を風靡しました。そもそも「もったいない」とは
有用なのにそのままにしておいたり、無駄にしてしまったりするのが惜しいこと。
と辞書にあります。先日の本会議の一般質問の中でこの「もったいない」というフレーズが何度か出てきました。行政的に「もったいない」ということが本来はどういうことなのか、改めて考えるちょうど良い題材だと思いましたので、ここで取り上げてみたいと思います。なお、発言者や発言内容を批判するつもりではありませんので、その点はご了承願います。
質問に出てきた「もったいない」は、1つは高齢者タクシーチケットが使い切れずに余るのが「もったいない」、もう1つはリフトタクシーのチケットが上限額まで使えないのは「もったいない」、というものでした。
高齢者タクシーチケットは、基本料金相当額分(500円以内)をチケットで助成するもので、基本料金を上回った分は自己負担となるものです。以前から、このチケットを同時に複数枚使用したい、という要望があります。例えば、運賃が1,500円の場合に3枚使わせて欲しい、2人で乗車したらそれぞれ1枚ずつ使わせて欲しい、というものですが、このチケットはあくまで「基本料金相当分の助成」を目的としており、500円の金券を複数枚お渡ししているものではありませんので、1乗車につき1枚の使用となっています。しかし、金券的に考えている方は、やはり自分の懐が痛むのは嫌ですから、自己負担分も残ったチケットで払えたら、と考えるようです。1年間で24枚のチケットですが、数ヶ月で使いきってしまう方もあれば、使いきらずに余らせる方もあります。後者の方は特に「あの時自腹で払ったお金を、このチケットで払えていれば…」、つまり
もったいない
と思われるようです。質問の中では、この「もったいない」が市民の当たり前の感覚であり、市民目線に立って改善をと求められました。
リフトタクシーのチケットの方は、市内から陶生病院までの距離を参考に、4,000円を上限に助成するもので、超えた分は自己負担となります。逆に、近くへの移送に使用した場合は、上限額より低い運賃でもチケットを1枚消費することになります。例えば、運賃が2,000円だったとしますと、4,000円まで使用できるチケットを1枚使用するのは、2,000円損したような感覚になる、ということで、1,000円券にならないか、という質問でした。しかしこの事業は「年に12回(月に1回)の移送サービス利用を、なるべく自己負担がないように助成」することを目的としており、4,000円の金券を12枚渡しているものではありません。しかしながら、チケットを使用する方からすれば「2,000円のところなら2回使えるのに…」、つまり
もったいない
と思われるようです。質問の中では、この「もったいない」が市民の当たり前の感覚であり、こちらも市民目線に立って改善をと求められました。
どちらも、事業や制度の趣旨や目的が伝えられていないな、という感じがします。どちらの事業も、わざわざ印刷費かけてチケットを印刷し、残が出るような形で配付するくらいなら、それぞれ12,000円、48,000円を現金で配付した方が早いし使い勝手が良い、という話になってしまいます。まあ、そこは今回の論点ではありませんのでこれ以上触れませんが、根本にはこういう問題が含まれているのは間違いありません。
では、上記の例は本当に
もったいない
のでしょうか?
例えば民間のお店で500円の金券をもらって、300円の買い物をしてお釣りが出ないとなると、これは200円もったいない、何かもう1品買うか、という話になると思います。これはやはりお金に相当する「金券」であるからだと思います。
上記のような行政サービスは、一方では市民の負担を減らすという側面がありますが、一方では税金が支出されるという側面があり、その税金のかなりの部分を市民が支払っているという事実があります。
500円相当のタクシーチケットを24枚受け取り、10枚使用しなかったとしますと、その個人は何だか5,000円損したような気がするのは分かりますが、
税金の支出を5,000円抑えられた
と考えますと
もったいなくない
と言えるのではないでしょうか。何もサービスは必ず上限まで使わないといけない、ということはありません。その抑えた分で他のサービスができればそれはプラスでしょうし、際限なく支出が増えてサービスそのものが継続不可能になってしまっては本末転倒と言えます。もちろん、過度な抑制が働いてしまうのは良くないと思いますが、単純に「自分の懐が痛むのは嫌だ」という理由ばかりでは、税金はいくらあっても足りないことになります。
本来こうした行政サービスは、真に必要としている方に行き渡るようにするべきだと思いますが、その判断が難しいために、年齢とかの要件で切っているのが実情です。高齢者タクシーチケットも「80歳以上の方」と配付対象を設定していますが、決してベストの設定では無いと思います。年収が何千万円もある方もあるでしょうし、年に1回しか病院に行かない方も、毎日病院に通う方も、配付枚数は同じです。質問の中で「対象者が増えれば要望は多様化するのは当たり前」という下りがありましたが、こうした平均的なところをターゲットにした施策では、要望が極端な方に振れるのはこれまた当たり前のことであります。「市民の切なる願い」と言えば聞こえは良いですが、一方では過剰サービスとなってしまう恐れもあります。
実はこういうことを検討していると必ず「所得制限」という方法が議論の俎上に上ります。しかし現実には難しい面があります。例えば高齢者タクシーチケットの配付対象を「80歳以上で年収200万円以下の方」とした場合、タクシーチケットを受領できたかどうかで年収が推察できてしまうことになります。
A:「タクシーチケット、配付始まったけどもうもらってきた?」
B:「いや、うちはもらえんのだわ」
A:「(なんや、結構年金もらってるんやな…)」
というように、人間関係にも影響してしまう面があります。
そうはいっても、実態を見たり聞いたりしていますと、真に必要としている方に行き渡るような制度設計の必要性を強く感じます。例えば、歳末見舞金という制度がありますが、この1万円が無いと生きていけないとばかりに、いつくるかいつくるかと待っている方もあれば、必要ないので孫にそのままやった、という方もあります。制度の本来の趣旨が揺らいでいるケースです。高齢者タクシーチケットも、それがないと外出がままならない方もあれば、家族と同居していて全く必要がないけど、あるなら使わにゃ損とばかりに、徒歩5分のスーパーに雨が降っているからとタクシーを呼ぶ方もあります。むしろ足腰が弱くなりはしないかと心配になるくらい、制度の本来の意義が歪んでしまっているケースだと思います。
行政サービスは、ある程度性善説に基づいている部分がありますが、最近はそればかりでは成り立っていかない時代になってきたと感じます。あさぴー号の乗車で、障がい者の付き添いの方は無料としたところ、なんで付き添いだけ無料で本人は無料じゃないんだとあちこちから要望があり、2人とも無料としたところ、障がい者と付き添いの方が別のバス停で降車するケースが多々あると聞いた時には、開いた口がふさがりませんでした。悪用とまでは言い切れないのかもしれませんが、少なくとも「介助者1名を無料」としている趣旨から外れるのは間違いありません。(※当初の無料対象者が逆でしたので、記述を修正しました)
今の時代、政治家たちが選挙で「あれもします、これもします」を訴え、住民も「あれもこれもしてもらう」ことに慣れてしまった感があります。今一度、全員が行政サービスにおける
もったいない
を考えなおし、持続可能な社会とするための仕組みを考えていく必要があります。我慢すべきは我慢し、主張すべきは主張する、それが「皆んなで支えあう」ことに繋がると思います。今回の一般質問の中で、私が「皆んなで支えあう」と言っていることを、あたかも「弱い立場の人(支えてもらう側の人)をみんなで支えると市長も言っている」と曲解したような発言もありましたが、決してそうではありません。皆んなで支え「あう」のですから、支えてもらうばかりの人、支えてばかりの人に色分けすることは、全く趣旨に反します。一見弱い立場の人であっても、どこかの何かの面では必ず誰かを支えることができるはずです。
こうした考え方は、現代社会ではなかなか受け入れられづらいと思いますが、発信し続けていきたいと思います。
有用なのにそのままにしておいたり、無駄にしてしまったりするのが惜しいこと。
と辞書にあります。先日の本会議の一般質問の中でこの「もったいない」というフレーズが何度か出てきました。行政的に「もったいない」ということが本来はどういうことなのか、改めて考えるちょうど良い題材だと思いましたので、ここで取り上げてみたいと思います。なお、発言者や発言内容を批判するつもりではありませんので、その点はご了承願います。
質問に出てきた「もったいない」は、1つは高齢者タクシーチケットが使い切れずに余るのが「もったいない」、もう1つはリフトタクシーのチケットが上限額まで使えないのは「もったいない」、というものでした。
高齢者タクシーチケットは、基本料金相当額分(500円以内)をチケットで助成するもので、基本料金を上回った分は自己負担となるものです。以前から、このチケットを同時に複数枚使用したい、という要望があります。例えば、運賃が1,500円の場合に3枚使わせて欲しい、2人で乗車したらそれぞれ1枚ずつ使わせて欲しい、というものですが、このチケットはあくまで「基本料金相当分の助成」を目的としており、500円の金券を複数枚お渡ししているものではありませんので、1乗車につき1枚の使用となっています。しかし、金券的に考えている方は、やはり自分の懐が痛むのは嫌ですから、自己負担分も残ったチケットで払えたら、と考えるようです。1年間で24枚のチケットですが、数ヶ月で使いきってしまう方もあれば、使いきらずに余らせる方もあります。後者の方は特に「あの時自腹で払ったお金を、このチケットで払えていれば…」、つまり
もったいない
と思われるようです。質問の中では、この「もったいない」が市民の当たり前の感覚であり、市民目線に立って改善をと求められました。
リフトタクシーのチケットの方は、市内から陶生病院までの距離を参考に、4,000円を上限に助成するもので、超えた分は自己負担となります。逆に、近くへの移送に使用した場合は、上限額より低い運賃でもチケットを1枚消費することになります。例えば、運賃が2,000円だったとしますと、4,000円まで使用できるチケットを1枚使用するのは、2,000円損したような感覚になる、ということで、1,000円券にならないか、という質問でした。しかしこの事業は「年に12回(月に1回)の移送サービス利用を、なるべく自己負担がないように助成」することを目的としており、4,000円の金券を12枚渡しているものではありません。しかしながら、チケットを使用する方からすれば「2,000円のところなら2回使えるのに…」、つまり
もったいない
と思われるようです。質問の中では、この「もったいない」が市民の当たり前の感覚であり、こちらも市民目線に立って改善をと求められました。
どちらも、事業や制度の趣旨や目的が伝えられていないな、という感じがします。どちらの事業も、わざわざ印刷費かけてチケットを印刷し、残が出るような形で配付するくらいなら、それぞれ12,000円、48,000円を現金で配付した方が早いし使い勝手が良い、という話になってしまいます。まあ、そこは今回の論点ではありませんのでこれ以上触れませんが、根本にはこういう問題が含まれているのは間違いありません。
では、上記の例は本当に
もったいない
のでしょうか?
例えば民間のお店で500円の金券をもらって、300円の買い物をしてお釣りが出ないとなると、これは200円もったいない、何かもう1品買うか、という話になると思います。これはやはりお金に相当する「金券」であるからだと思います。
上記のような行政サービスは、一方では市民の負担を減らすという側面がありますが、一方では税金が支出されるという側面があり、その税金のかなりの部分を市民が支払っているという事実があります。
500円相当のタクシーチケットを24枚受け取り、10枚使用しなかったとしますと、その個人は何だか5,000円損したような気がするのは分かりますが、
税金の支出を5,000円抑えられた
と考えますと
もったいなくない
と言えるのではないでしょうか。何もサービスは必ず上限まで使わないといけない、ということはありません。その抑えた分で他のサービスができればそれはプラスでしょうし、際限なく支出が増えてサービスそのものが継続不可能になってしまっては本末転倒と言えます。もちろん、過度な抑制が働いてしまうのは良くないと思いますが、単純に「自分の懐が痛むのは嫌だ」という理由ばかりでは、税金はいくらあっても足りないことになります。
本来こうした行政サービスは、真に必要としている方に行き渡るようにするべきだと思いますが、その判断が難しいために、年齢とかの要件で切っているのが実情です。高齢者タクシーチケットも「80歳以上の方」と配付対象を設定していますが、決してベストの設定では無いと思います。年収が何千万円もある方もあるでしょうし、年に1回しか病院に行かない方も、毎日病院に通う方も、配付枚数は同じです。質問の中で「対象者が増えれば要望は多様化するのは当たり前」という下りがありましたが、こうした平均的なところをターゲットにした施策では、要望が極端な方に振れるのはこれまた当たり前のことであります。「市民の切なる願い」と言えば聞こえは良いですが、一方では過剰サービスとなってしまう恐れもあります。
実はこういうことを検討していると必ず「所得制限」という方法が議論の俎上に上ります。しかし現実には難しい面があります。例えば高齢者タクシーチケットの配付対象を「80歳以上で年収200万円以下の方」とした場合、タクシーチケットを受領できたかどうかで年収が推察できてしまうことになります。
A:「タクシーチケット、配付始まったけどもうもらってきた?」
B:「いや、うちはもらえんのだわ」
A:「(なんや、結構年金もらってるんやな…)」
というように、人間関係にも影響してしまう面があります。
そうはいっても、実態を見たり聞いたりしていますと、真に必要としている方に行き渡るような制度設計の必要性を強く感じます。例えば、歳末見舞金という制度がありますが、この1万円が無いと生きていけないとばかりに、いつくるかいつくるかと待っている方もあれば、必要ないので孫にそのままやった、という方もあります。制度の本来の趣旨が揺らいでいるケースです。高齢者タクシーチケットも、それがないと外出がままならない方もあれば、家族と同居していて全く必要がないけど、あるなら使わにゃ損とばかりに、徒歩5分のスーパーに雨が降っているからとタクシーを呼ぶ方もあります。むしろ足腰が弱くなりはしないかと心配になるくらい、制度の本来の意義が歪んでしまっているケースだと思います。
行政サービスは、ある程度性善説に基づいている部分がありますが、最近はそればかりでは成り立っていかない時代になってきたと感じます。あさぴー号の乗車で、障がい者の付き添いの方は無料としたところ、なんで付き添いだけ無料で本人は無料じゃないんだとあちこちから要望があり、2人とも無料としたところ、障がい者と付き添いの方が別のバス停で降車するケースが多々あると聞いた時には、開いた口がふさがりませんでした。悪用とまでは言い切れないのかもしれませんが、少なくとも「介助者1名を無料」としている趣旨から外れるのは間違いありません。(※当初の無料対象者が逆でしたので、記述を修正しました)
今の時代、政治家たちが選挙で「あれもします、これもします」を訴え、住民も「あれもこれもしてもらう」ことに慣れてしまった感があります。今一度、全員が行政サービスにおける
もったいない
を考えなおし、持続可能な社会とするための仕組みを考えていく必要があります。我慢すべきは我慢し、主張すべきは主張する、それが「皆んなで支えあう」ことに繋がると思います。今回の一般質問の中で、私が「皆んなで支えあう」と言っていることを、あたかも「弱い立場の人(支えてもらう側の人)をみんなで支えると市長も言っている」と曲解したような発言もありましたが、決してそうではありません。皆んなで支え「あう」のですから、支えてもらうばかりの人、支えてばかりの人に色分けすることは、全く趣旨に反します。一見弱い立場の人であっても、どこかの何かの面では必ず誰かを支えることができるはずです。
こうした考え方は、現代社会ではなかなか受け入れられづらいと思いますが、発信し続けていきたいと思います。