ブログ版水野義則Times(アーカイブ)

愛知県尾張旭市の水野義則です。市議会議員を4期13年、市長を2期6年9ヶ月務めさせていただきました。地方自治、政治に携わらせていただいておよそ20年、現職でなくなった今だからこそ発信できることがあると思います。「私が言う」ことで、多くの人が何かを考え、何かを感じていただければと思い、引き続き発信していきたいと思います。

政治

民意の問い方、表し方

イギリスがEU離脱で混乱していますが、メイ首相のリーダーシップに疑問を呈し、辞職を迫るような動きもあるようです。私は報道で見ているだけですが、本当に無責任だなあ、と思うことがあります。あの国民投票の結果を受けてだと、誰がやってもこうなった気がしますし、最初から一貫して「国民投票の結果を尊重し、やり直しはしない」と言っているメイ首相は立派だと思います。そもそも、こうなることが分かっていたからだれもキャメロン首相の後をやりたがらなかったわけで、火中の栗を拾われたわけですから。負担金は払いたくないし移民もいらないけど、人の移動の自由と関税なしはそのままで、などという自分のことしか考えていない都合の良い論理が通るはずないですし、通ったらほとんどの国がEUから離脱することでしょう。

先日の18歳選挙権の関係でやらせていただいた「主権者教育」の中でもこのことに触れましたが、要は民意の問い方に問題があったのだと思います。どちらも都合の良いことしか言わなかった、その結果がEU離脱が多数なのだと思います。誰だって負担金は払いたくないし、移民に仕事をとられるのも嫌でしょう。しかし、それとは別にデメリットもあることを伝えないから、そうだそうだ、となるわけです。もう一回国民投票やって逆の結果が出たら、どちらの国民投票結果が有効か?という議論が起こるだけでしょう。意味は無いですし、それくらいの覚悟でやらないとダメですよね。結果が気に入らないから勝つまでやる、なんて国民投票の意味を考えたらおかしな話です。


日本に目を向けてみますと、憲法改正で国民投票という話が出ていますが、各地域では住民投票が実施されています。沖縄県では県民投票が実施され、辺野古基地設置に関して「反対」という意志が示されました。「これが沖縄県民の意志だ」と言われていますが、どういう意志なのか、という点については注意が必要だと私は思います。

この県民投票は「普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対する賛否」が問われたものです。つまり「普天間飛行場の代替施設のために辺野古を埋立てすることに反対」という意志を示した、ということになります。決して、普天間飛行場か辺野古基地かどちらがいいか?ということを問うたわけではありません。仮にそれが問われたのであれば、多くの沖縄県の人が投票に行かなかったでしょうし、そこに「どちらでもない」という選択肢があれば、ほとんどの方がそれを選ばれたのではないかと思います。結局、これは聞き方の問題であり、辺野古が好きか嫌いか、みたいになってしまっている面があります。沖縄県民の意志はきっと「普天間飛行場も辺野古基地も嫌だ」であり、もっと言えば「沖縄県に米軍関連施設は要らない」なのだと思います。まあ、国防の観点からそういう逃げ場の無くなるような住民投票はしないのだと思いますが。

もう一つ、大阪では一度住民投票で出た「大阪都構想はNO」という民意をひっくり返すための選挙が行われています。しかも、同じ人が再選されて任期が短くなることを避けるため、大阪府知事と大阪市長が逆の選挙に立候補して4年任期を得ようという、前代未聞のやり方で選挙になっています。ある維新の会関係者が「都構想は公約であり、公約を守るためにありとあらゆる手段を取るのは当然のこと」と豪語しているのをみましたが、これは全くの詭弁だと思います。立候補時に都構想「だけ」を公約にしていたのであれば、そう言えるかもしれませんが、きっとそんなことはないでしょう。それ以外の大阪府のこと、大阪市のことも公約したはずです。それらの公約はどうでもいい、と言っているに等しいですよね。だから、私利私欲のためだ、というそしりも受けてしまうわけです。もう一度是非を問う、と言うのであれば、単に出直し選挙に立候補すればいいだけの話で、入れ替えることの説明がつきません。まさに「党ありき」という感じがします。

確認団体って?

1月に入ってすぐくらいに「あれ?もう選挙始まったの?」という声が聞こえてきましたが、中旬になって「あれ?終わったの?」という声も聞こえてきました。これ、「○○の会」のような政治団体が政治活動用自動車(いわゆる街宣車)で政治活動を行っていたものです。本来この政治団体は、特定の候補者を応援するためのものではなく、あくまで政治的な主張を行うものです。(原則は…)

「じゃあ、なぜその活動が終わったのか?」と言うと、1/17から愛知県知事選挙が始まったからです。他の選挙期間中は、政治団体の活動は制限されます。いわゆる「後援会」の活動も当然、制限されます。知事選挙期間中は、政治活動用自動車での活動や街頭演説、ビラの配布などが禁止されます。ということで、街宣車での広報活動や駅頭での活動、ビラの配布などがされなくなったはずです。

そしてこの政治団体の活動は、市長選挙が始まると再開されると思います。これは、候補者につき1つの政治団体が、選挙管理委員会に届け出ることにより、選挙期間中に政治活動を行うことを認められるためです。この時、選挙管理委員会から「確認書」が交付されるためこの政治団体は

確認団体

と呼ばれます。期間中、確認団体の街宣車が回り、ビラが配布されると思われます。いわゆるマニフェストビラは枚数に制限があるため、枚数に制限のないこちらの確認団体ビラが使われることもあると思われます。ただし、この政治団体は特定の候補者を応援することはできず、あくまで政治的な主張をするための政治活動をすることになります。しかし、実際は候補者ごとに確認されているわけですから、本来はその候補者と同じ政治的な主張をしているはずです。それで、類推が容易になるよう、あの手この手を頭を捻って使っている、というのが実態です。よく「候補者名の入っていないビラが入っていた!」「誰のことなのか名前をちゃんと書かないと分からない!」というお叱りを受けるのは、この確認団体ビラのせいだと思います。街宣車の方も「ちゃんと名前を言いなさい!」と言われることがありますが、こちらの確認団体街宣車の政治活動なのでしょう。

ちなみに私の確認団体は、ビラの紙をイメージカラーの緑色にしましたが…期待ほど類推されずに怒られることもありましたね。

お前は大丈夫か?-今日のヨッシー(2016/05/22)

今日は久しぶりに公務の無い日。ということで、早朝から起き出してソフトボールの練習に参加しました。久しぶりにフル参加、いい汗をかけました。

⇒グランドを使わせていただいていることに感謝し、整備も自分たちで
BlogPaint

練習後に近くの喫茶店でモーニングをしていたら、プチ同窓会を開いていた知り合い達にバッタリ。ついつい話し込んで午前中が潰れました。(笑)

この時にも聞かれたのは舛添知事の話。最近よく聞かれるのが「お前は大丈夫なのか?」とか「お前もやばいんじゃ?」ということですが、今日もやっぱり聞かれました。(笑)

まあ、私が他の政治家のことをあれこれ言うこともないでしょうが、私が大丈夫な訳(笑)には触れておいた方が良いのかもしれません。

その前に、今世間を騒がせている舛添知事の問題は、大きくは2つの論点で整理しておかなればなりません。一つは、海外出張が高額だとか、ファーストクラスやスイートルームを使用しているだとか、自分の別荘に毎週公用車で移動しているだとかいった問題、もう一つは政治団体の支出としてふさわしいかどうかという問題、です。

前者は、まさに東京都知事としての問題であり、都議会で取り上げて議論し、ルールに則っているというのであれば、そのルールがふさわしいかどうかを議論すべき問題です。この点については、私は出張時はほぼビジネスホテルのシングルルーム利用(先方が指定してきた場合は除きます)ですし、旅費規定は厳密ですし、公用車の利用ルールも厳格になっていますので、調べても何も面白いものは出てきません。

後者は、新党改革の支部時代から続く政治資金規正法の問題で、これはむしろ都議会で議論というよりも、国会で議論すべき問題かもしれません。政治団体による政治活動は、量の規制や相手の規制、選挙活動との差別化などの制約はあるものの、かなり自由です。美術品や学校の制服を買ったとしても、それを政治活動で使用したと言えば、なかなかそれを否定するのは難しい問題です。そんなの都道府県の選挙管理委員会でチェックするんだろ?と思われるかもしれませんが、選挙管理委員会では、計算が合ってるかとか、計上する費目が正しいかとか、必要な領収書が添付されているかとか、そうした形式的なチェックをする「のみ」です。いや、少なくとも愛知県はそうです。例えば、報告書の中に「パソコン100台」があったとして、「100台も使うはずがない」とか「昨年も買ってるでしょ?」とかいう指摘はしません。「パソコン100台」がしかるべき欄に記載されていて、それが一定の金額を超えた場合には領収書が添付されていれば通ります。だからこそ、一般に公開されている、とも言えるのでしょうが、それを見た人とか、主にマスコミ関係が「これはおかしんじゃ?」と言ってるだけです。

では、なぜ舛添知事の場合にそんな指摘が出ているのか、それは「政治団体に公金が入っているから」であります。政党の支部ですから、政党助成金が入っていたようですね。政治活動として「美術品を買った」のがどうか?と言われても、基本的には「ルールで禁止されていない」ということになりますが、そこに税金が入っているとなると「それはちょっとおかしいのでは?」となるわけです。それは、都道府県会議員や市町村議会議員が、自分のお金で趣味の本を買っても何も言われないけど、政務活動費で購入すると問題になるのと似ています。ルールでは禁止されていないけど、モラルとしてどうなのか、ということでしょう。

それで私の場合、関連する政治団体はありますが、収入はほぼ自己資金です。政治資金パーティーをやっていますので、会費収入はありますが、しょせん3千円とか2.5千円の会費のパーティーですので、ほぼトントンです。なので、家族旅行で泊まったホテルの領収書をわざわざ報告書に付けるのは、向こうで会議をしていようがしていよまいが面倒くさいだけなので、そんなことをする必要がありません。むしろ、なるべくそちらに計上したくないくらいです。そこに税金が投入されておらず、収入がほぼ自己資金である、ところが違います。(うちの収入は給与だけですので、それが税金だ、という話はここでは置いておきます)

自営業者の方は、よく領収書を集めて、何とか経費計上しようとして税務署と闘っていたりすると思いますが、今回の件はそれに似ていると思います。自己資金以外のお金が入っているところから、経費的に支出した方がお得、と考えた結果だったのではないか、と思います。政治資金規正法に詳しい第三者、が世の中にたくさんいるとも思えませんが、どんな調査結果になるのでしょうね。

2時間以上、あれだけで押し切ったのはある意味すごいな、と思います。この後、6月の都議会でも同じようなかわし方をするのかもしれませんね。でも、問題の中身が違うので、私は大丈夫です。(笑)


<市長公務1520日目>
今日は公務なし

『特色ある施策2013』への応募をお願いします

全国青年市長会」という会があり、私も加入させていただいています。この青年市長会の事業として「特色ある施策」というものがあり、会員市から特色ある施策を募集し、投票結果により表彰をする、というものです。これは良いPRの機会になると考え、尾張旭市としては初めて1自治体あたりの応募上限である5件を応募させていただきました。

2013年度特色ある施策一覧(会員市別)

2013年度特色ある施策一覧(分野別一覧)


メールアドレスがあればどなたでも投票可能ですので、ぜひ投票をお願いします。

2013年度特色ある施策投票用紙

尾張旭市の施策に1票を、と本音では言いたいところですが、25市から77の施策が集まっていますので、じっくり見ていただいて「これは」と思った施策に投票をお願いします。尾張旭市としてはもちろんPRに繋げたいところですが、まずはこの事業を盛り上げたいと思います。

多くの皆さんの投票をお待ちしております。

「もったいない」考

2006年の滋賀県知事選挙では、嘉田知事が東海道新幹線の新駅建設凍結に絡めて「もったいない」をキャッチフレーズに当選し、一世を風靡しました。そもそも「もったいない」とは

有用なのにそのままにしておいたり、無駄にしてしまったりするのが惜しいこと。

と辞書にあります。先日の本会議の一般質問の中でこの「もったいない」というフレーズが何度か出てきました。行政的に「もったいない」ということが本来はどういうことなのか、改めて考えるちょうど良い題材だと思いましたので、ここで取り上げてみたいと思います。なお、発言者や発言内容を批判するつもりではありませんので、その点はご了承願います。

質問に出てきた「もったいない」は、1つは高齢者タクシーチケットが使い切れずに余るのが「もったいない」、もう1つはリフトタクシーのチケットが上限額まで使えないのは「もったいない」、というものでした。

高齢者タクシーチケットは、基本料金相当額分(500円以内)をチケットで助成するもので、基本料金を上回った分は自己負担となるものです。以前から、このチケットを同時に複数枚使用したい、という要望があります。例えば、運賃が1,500円の場合に3枚使わせて欲しい、2人で乗車したらそれぞれ1枚ずつ使わせて欲しい、というものですが、このチケットはあくまで「基本料金相当分の助成」を目的としており、500円の金券を複数枚お渡ししているものではありませんので、1乗車につき1枚の使用となっています。しかし、金券的に考えている方は、やはり自分の懐が痛むのは嫌ですから、自己負担分も残ったチケットで払えたら、と考えるようです。1年間で24枚のチケットですが、数ヶ月で使いきってしまう方もあれば、使いきらずに余らせる方もあります。後者の方は特に「あの時自腹で払ったお金を、このチケットで払えていれば…」、つまり

もったいない

と思われるようです。質問の中では、この「もったいない」が市民の当たり前の感覚であり、市民目線に立って改善をと求められました。

リフトタクシーのチケットの方は、市内から陶生病院までの距離を参考に、4,000円を上限に助成するもので、超えた分は自己負担となります。逆に、近くへの移送に使用した場合は、上限額より低い運賃でもチケットを1枚消費することになります。例えば、運賃が2,000円だったとしますと、4,000円まで使用できるチケットを1枚使用するのは、2,000円損したような感覚になる、ということで、1,000円券にならないか、という質問でした。しかしこの事業は「年に12回(月に1回)の移送サービス利用を、なるべく自己負担がないように助成」することを目的としており、4,000円の金券を12枚渡しているものではありません。しかしながら、チケットを使用する方からすれば「2,000円のところなら2回使えるのに…」、つまり

もったいない

と思われるようです。質問の中では、この「もったいない」が市民の当たり前の感覚であり、こちらも市民目線に立って改善をと求められました。

どちらも、事業や制度の趣旨や目的が伝えられていないな、という感じがします。どちらの事業も、わざわざ印刷費かけてチケットを印刷し、残が出るような形で配付するくらいなら、それぞれ12,000円、48,000円を現金で配付した方が早いし使い勝手が良い、という話になってしまいます。まあ、そこは今回の論点ではありませんのでこれ以上触れませんが、根本にはこういう問題が含まれているのは間違いありません。

では、上記の例は本当に

もったいない

のでしょうか?

例えば民間のお店で500円の金券をもらって、300円の買い物をしてお釣りが出ないとなると、これは200円もったいない、何かもう1品買うか、という話になると思います。これはやはりお金に相当する「金券」であるからだと思います。

上記のような行政サービスは、一方では市民の負担を減らすという側面がありますが、一方では税金が支出されるという側面があり、その税金のかなりの部分を市民が支払っているという事実があります。

500円相当のタクシーチケットを24枚受け取り、10枚使用しなかったとしますと、その個人は何だか5,000円損したような気がするのは分かりますが、

税金の支出を5,000円抑えられた

と考えますと

もったいなくない

と言えるのではないでしょうか。何もサービスは必ず上限まで使わないといけない、ということはありません。その抑えた分で他のサービスができればそれはプラスでしょうし、際限なく支出が増えてサービスそのものが継続不可能になってしまっては本末転倒と言えます。もちろん、過度な抑制が働いてしまうのは良くないと思いますが、単純に「自分の懐が痛むのは嫌だ」という理由ばかりでは、税金はいくらあっても足りないことになります。

本来こうした行政サービスは、真に必要としている方に行き渡るようにするべきだと思いますが、その判断が難しいために、年齢とかの要件で切っているのが実情です。高齢者タクシーチケットも「80歳以上の方」と配付対象を設定していますが、決してベストの設定では無いと思います。年収が何千万円もある方もあるでしょうし、年に1回しか病院に行かない方も、毎日病院に通う方も、配付枚数は同じです。質問の中で「対象者が増えれば要望は多様化するのは当たり前」という下りがありましたが、こうした平均的なところをターゲットにした施策では、要望が極端な方に振れるのはこれまた当たり前のことであります。「市民の切なる願い」と言えば聞こえは良いですが、一方では過剰サービスとなってしまう恐れもあります。

実はこういうことを検討していると必ず「所得制限」という方法が議論の俎上に上ります。しかし現実には難しい面があります。例えば高齢者タクシーチケットの配付対象を「80歳以上で年収200万円以下の方」とした場合、タクシーチケットを受領できたかどうかで年収が推察できてしまうことになります。

A:「タクシーチケット、配付始まったけどもうもらってきた?」
B:「いや、うちはもらえんのだわ」
A:「(なんや、結構年金もらってるんやな…)」

というように、人間関係にも影響してしまう面があります。

そうはいっても、実態を見たり聞いたりしていますと、真に必要としている方に行き渡るような制度設計の必要性を強く感じます。例えば、歳末見舞金という制度がありますが、この1万円が無いと生きていけないとばかりに、いつくるかいつくるかと待っている方もあれば、必要ないので孫にそのままやった、という方もあります。制度の本来の趣旨が揺らいでいるケースです。高齢者タクシーチケットも、それがないと外出がままならない方もあれば、家族と同居していて全く必要がないけど、あるなら使わにゃ損とばかりに、徒歩5分のスーパーに雨が降っているからとタクシーを呼ぶ方もあります。むしろ足腰が弱くなりはしないかと心配になるくらい、制度の本来の意義が歪んでしまっているケースだと思います。

行政サービスは、ある程度性善説に基づいている部分がありますが、最近はそればかりでは成り立っていかない時代になってきたと感じます。あさぴー号の乗車で、障がい者の付き添いの方は無料としたところ、なんで付き添いだけ無料で本人は無料じゃないんだとあちこちから要望があり、2人とも無料としたところ、障がい者と付き添いの方が別のバス停で降車するケースが多々あると聞いた時には、開いた口がふさがりませんでした。悪用とまでは言い切れないのかもしれませんが、少なくとも「介助者1名を無料」としている趣旨から外れるのは間違いありません。(※当初の無料対象者が逆でしたので、記述を修正しました)

今の時代、政治家たちが選挙で「あれもします、これもします」を訴え、住民も「あれもこれもしてもらう」ことに慣れてしまった感があります。今一度、全員が行政サービスにおける

もったいない

を考えなおし、持続可能な社会とするための仕組みを考えていく必要があります。我慢すべきは我慢し、主張すべきは主張する、それが「皆んなで支えあう」ことに繋がると思います。今回の一般質問の中で、私が「皆んなで支えあう」と言っていることを、あたかも「弱い立場の人(支えてもらう側の人)をみんなで支えると市長も言っている」と曲解したような発言もありましたが、決してそうではありません。皆んなで支え「あう」のですから、支えてもらうばかりの人、支えてばかりの人に色分けすることは、全く趣旨に反します。一見弱い立場の人であっても、どこかの何かの面では必ず誰かを支えることができるはずです。

こうした考え方は、現代社会ではなかなか受け入れられづらいと思いますが、発信し続けていきたいと思います。
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