今日は午前中に、よく知った方が水泳の日本マスターズ大会で優勝し、日本記録を樹立したとのことで表敬訪問にお越しになりました。

20180508_早川さん表敬

混合の4×200mフリーリレーの合計年齢が240~279歳の部で樹立されたということでした。お聞きすると、メンバーの中には元日本代表という方もおられ、大会ごとにどんなメンバーで組めるか、というのも重要な要素になってくるということでした。そこまで強ければ、女子だけの部とか、メドレーリレーとかでも狙えるのかと思いましたが、そう簡単では無いようです。尾張旭市に日本記録を持った人がいる、というのも凄いことだと思います。

⇒取材の様子
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私からは、世界マスターズで世界一になることを目指して欲しい、と激励させていただきました。


5/15号から広報おわりあさひがリニューアルとなりました。

⇒表紙の印象もだいぶ違います
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こうなったのには事情もあるのですが、それはそれとして、見やすくまた読みやすくなったと思いますので、ぜひ手に取ってご覧頂きたいと思います。


少し遅めの昼食をとろうと庁舎の外に出たところ、ご高齢の女性に呼び止められました。「なかなか直接話せないので」と前置きした上で、「市民会館の跡地は暫定的に駐車場になるとのことだが、その後何ができるのか決まっているのか?」というご質問をいただきました。特に決まった予定は無いことをお伝えしたところ、「市民会館ほどの大きさでなくても、平屋で良いので、100人が集まって体操ができる施設が欲しい」とのご要望をいただきました。

あらかじめ申し上げておきますと、この女性を非難する意図は全くありません。よくいただくご意見の具体例として取り上げさせていただいており、むしろ私の説明にも「なるほど」「そういう面もあるよね」と同意していただいた部分もありました。口角泡を飛ばしながら「自分の言うことが聞けないのか!」と言われる方に比べればよく聞いていただけた方だと思います。今日も結局15分くらいは立ち話をしていたと思います。

話の中で、中央公民館や総合体育館、城山コミュニティセンターなどを代替施設として提案しましたが、「部屋が狭い」「エアコンが無い」「今さら新参者は入りにくい」「既に希望する曜日・時間は埋まっている」「バスで行かなければならない」などの理由を並べられ、受け入れてはいただけませんでした。とにかく、市民会館のあった場所で、好きな時に好きなだけ使える施設が欲しい、ということでした。「そういう要望は聞いたことがないのか?」と聞かれましたので、閉鎖当時はたくさん聞いたこともお伝えしました。その上で、最近は「冷暖房完備の卓球場」や「リハビリのできる温水プール」「安価に利用できる温泉施設」のご要望が多いとお伝えしたところ

そんなものは必要ない

とおっしゃられました。そして、ともすれば、オリンピックが開催できるような立派な競技場や体育館、室内プールのご要望も多いと言うと

贅沢言ってはいかん

とおっしゃられました。まあ、結局そういうことで、個々人は自分の必要とするものが欲しくて、それ以外のものは要らないいだけで、どちらかと言えば理由は後付けです。今日も「最近、市の中央部が寂れてきているので、市民会館の跡地にそういうものが必要」と言われましたが、むしろ市内で唯一の図書館、文化会館、体育館があるわけですので、市民会館が無くなったからといって寂れている、他の地区と比べて公共施設が劣っている、と言うのは無理があります。その方は市役所の構内を、カートを引いて歩いておられたので、あくまでその方の徒歩圏内に過ぎない、というのが実態だと思います。あと、よくある殺し文句(?)は、「皆んなそう言ってる」「健康都市のくせに」「未来ある子どもたちのために」という感じですが、今日もそれらは全て会話の中で出てきました。

少し観点を変えて、いつ頃からかよく

ハコモノ行政

という言葉が使われるようになりました。特にこうしてカタカナ書きされる時は、揶揄されているイメージですので、決して良い意味では使われていない、悪政・税金の無駄遣いの代名詞のような使われ方だと認識しています。では、具体的にはどういう状況を指すのか?というと、人によって解釈やイメージはまちまちなのではないでしょうか。一つ、ずっと印象に残っているシーンがあります。それは、2001年の市長選挙前の公開討論会のときのことです。この時、立候補を表明していた4候補の内の2候補が出席され、それぞれの公約等について話をされました。その内のお一人は、温泉を含む健康施設建設を掲げておられましたが、会場からの質問を受けた折に「箱物行政じゃないか?」と言われ、「施設を造ったら箱物行政だと言うのであれば、その通りだ」と答えておられました。その時は、ある意味いさぎ良いな、と思いましたが、反感も買ったかな、とも思いました。でも、そう答えるしかないのも確かです。そもそも「箱物行政」の言葉の定義が同じとは限らない、むしろ違うと思われますので。私が市長になってからも、いきいきや城山コミュニティセンターを建てており、今年度は西大道公会堂を建て替えます。箱物行政…ですかね?

私の中では、「箱物を造る」ことではなく「箱物に頼る」のが箱物行政だと考えています。その昔、景気は公共事業頼り、箱物は補助金ありきだった時代があり、結果として似たような施設が乱立し、利用率も低かった、そういう状況を揶揄して「箱物行政」と言われたのだと思います。

話を戻します。今日話しかけてこられた方のように「何か施設を造って欲しい」というご要望は、正直なところいただくご要望の中で一番多いです。皆さん「箱物行政だ」と揶揄しながらも、実際には箱物を欲しがっている、という現状があります。そして、その欲しいものや、優先度、内容などは人によって千差万別です。例えば今日の方は、100人規模のホールがあれば良い、と言われました。もちろん、冷暖房やバリフリトイレ、広くて近い駐車場完備が前提であることは言うまでもありません。しかし、それでは大きすぎる人、もっと大きいのがいい人、音響にこだわりたい人、それこそ千差万別で、全てを満たすことは不可能です。そして施設は、より多くの人の要求を満たすものであればあるほど利用率は高くなり

足りない、もっと造って

になります。いつでも好きな時に好きなように使える施設、などというのは、間違いなく利用率が低い

無駄な箱物

になっていると思います。そしてその「無駄」の基準も人によって異なっており、基本的には

自分が使わないものは無駄

という感覚の人が多いのだと思います。行政としては、そういう皆さんの声一つ一つをお聞きします。お聞きしますが、叶うとは限りません。皆さん、ご自分の意見が正しいと思われていますが、中には相反するものもあります。それぞれがそれぞれに、正義をもったご意見です。そうしたご意見の最小公倍数的に進められればそれに越したことはありませんが、ほとんどの場合は最大公約数的な解になります。そして今は、施設そのものを減らしていく時代、予算が厳しい中、将来必要となるメンテナンスや更新費用も見越した上で、絞っていく必要がある時代です。最大でない公約数的な発想も必要になってきます。それをすんなり理解していただくのはとても難しいことだと分かっていますが、地道に、継続して伝えていくしかありません。

今日の女性が最後に「とにかく、頼みましたから」と言って去っていかれたのに一抹の不安があります…。


夜はビーチボールの練習に参加しました。どこでどうなったのか記憶にありませんが、今日はあちこちを強打したようで、家に帰っても痛かったのですが、特に両肘が重傷のようで、机に肘をつくと痛みが走ります。ヒビが入ったりしてませんように…。


<市長公務2236日目>
10時~ 面会
13時30分~ 打ち合わせ
16時~ 打ち合わせ