ブログ版水野義則Times(アーカイブ)

愛知県尾張旭市の水野義則です。市議会議員を4期13年、市長を2期6年9ヶ月務めさせていただきました。地方自治、政治に携わらせていただいておよそ20年、現職でなくなった今だからこそ発信できることがあると思います。「私が言う」ことで、多くの人が何かを考え、何かを感じていただければと思い、引き続き発信していきたいと思います。

立候補するのに必要なお金

「政治とカネ」と、わざわざカタカナで書かれるように、政治の世界は汚い「カネ」にまみれている、という何となくな印象が蔓延しているような気がします。政治や選挙にお金をかけるな、と言われることもありますが、議員や首長になるためにどうしても必要なお金があります。それは、

供託金

です。なぜか一般の方でも、この言葉を聞いたことがあるという人は多いような気がします。別に供託行為そのものは、弁済や保証でなされるものであり、選挙に限ったことではないのですが、なぜか立候補するというと、供託金が必要であることを思い浮かべる方が多いようです。供託金が必要な理由は「売名や選挙妨害を目的とした立候補の乱立を抑制するため(Wikipediaより)」だそうです。

それでまずいくら必要なのか、ですが、これは選挙によって異なります。

尾張旭市議会議員選挙は30万円

です。尾張旭市長選挙は100万円、衆議院・参議院議員選挙は選挙区が300万円で比例代表が600万円です。ちなみに、先日の名古屋市議会議員選挙は50万円で、町村議会議員選挙は供託金がありません。

この供託金は、法定得票数を超えると返ってきます。落選しても、ある一定の得票があれば返ってくる、ということです。この法定得票数は、尾張旭市議会議員選挙の場合、有効総票数を議員定数で割った数の1/10、ということになります。平成19年の選挙では、

308.062票

でしたので、供託金が没収された候補者はいませんでした。先日の名古屋市議会議員選挙の結果を見ると、没収になるのはごく一部だと思われます。

ちなみにこの供託金、返還時にはちゃんと利子がついてきます。平成19年のときは、約1ヶ月間30万円を預けた形になり、返ってきたときには

6円

利子がついていました。これはその時々の市中金利によるようです。

さあ、あなたも立候補してみませんか?


きれいな予算書、決算書

予算書や決算書は、その年度の予算を決めたり、1年間の税金の使い方をチェックしたりする大事な書類です。その様式や記載レベルは各自治体でまちまちです。尾張旭市の予算書は、非常に細かい内容まで記載されいると、他の自治体の方からは好評です。大きな自治体ほど、予算規模そのものが大きいので、予算書が簡略化する傾向にあります。尾張旭市の予算規模は、そういう意味では議員がチェックするにはほどよい規模なのかもしれません。例えば、「道路補修工事」でまとめられそうな部分も、「○○線道路補修工事」のように、規模の大きな工事について場所や路線が分かるようになっています。

とはいえ、尾張旭市の予算書は、一般会計で300ページ弱、特別会計も300ページ弱の規模です。決算書になりますと、成果報告書や決算審査意見書などもあり、さらにチェックすべきページが増えます。これを、30日に満たない会期中にチェックをするのですから、想像以上に大変な作業であります。議会によっては、理事者が各会派を回って概要を説明するところもありますが、尾張旭市は予算規模や新規事業についての概要説明会が開催されるのみです。

さて、ぶっちゃけ、議員はこんなに分厚い予算書や決算書を読んでいるのでしょうか?

正直なところ、いろいろだと思います。全く手つかず、という議員はさすがにいないでしょうが、ちらっと見ただけ、とか、常任委員会に分割付託されるところは、自分の担当する委員会の分だけ、とか、そういう議員はいると思います。よく、委員会で質問しようと思ったところに付箋が貼られていたり、折り目がついていたりしていると、ああ読んでるな、と思いますし、普通に読んでいれば背表紙にも折り目がついたりします。そうなってない、きれな予算書、決算書を持っている議員は…。

理事者からの説明を聞いて、気になったところだけ質問してみたり、他の議員の質問に追加して質問したりする議員もいます。まれに「自分はこれしか質問することがないから、先に質問させて」なんてのんきな方もいます。予算書を一生懸命読んだところで、報酬が増える訳ではありません。報酬は日当制だ、なんて話も出ていますが、家や会派室で真剣に予算書を読むと、1日とか半日とか時間がかかるものです。そういう時間をかけているかどうか、というのはなかなか市民には見えないものです。そういう場合、議員が持っている予算書や決算書、あるいは議案書をチェックしてみると良いかもしれません。



筆舌に尽くしがたい

3/11に発生した、東北から関東にかけての大地震は、その凄まじさを1日経った今でも見せつけています。まさに、筆舌に尽くしがたく、本当にただ、自然の驚異、そして人間の無力さを改めて思い知らされたような気がします。

地震発生時、私は市役所の会派室で会派会議中でした。「大きいぞ」と誰かが叫び、長く続く揺れに避難した方がよいのかどうか迷っているうちに、少し揺れが収まった感じがしましたが、その後に続く余震に恐怖を覚えました。と同時に、すぐに地震の状況や津波の警報の内容が分かり、情報伝達速度にも驚かされました。平成7年の阪神大震災以降、確実に地震対策は進んでおり、約250倍のエネルギーとも言われる今回の地震で、被害を食い止められた部分もあったかもしれません。

しかし、「水」の怖さは改めて感じました。この地域は平成12年に東海大豪雨を経験していますが、あの時、何でこんなところまで水が?と怖かったことを思い出します。今回、津波というメートル単位での海面隆起が、どんどん近づいてくる恐怖、そして全てのものを破壊しつくすその威力、がれきの山になってしまった被災地の映像を見るたび、胸がえぐられるような感覚に襲われました。

自分の無力さを呪いつつも、何かできることを探していきたいと思います。被災から72時間で生存率がぐっと下がる、と言われています。現地の状況を逐一報道していただくのも結構ですが、取材班の方が少しでも物資補給や人命救助に手を貸していただけることを望んで止みません。

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